暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

送料無料が当たり前なら配達員の給料は何処からくるのだろうか。

オンラインショップで一定金額以上を購入すると送料が無料になるのがスタンダードな世の中。
購入する私たちも送料無料が当たり前になりつつあるのだが。
では基本的な問題として、ならば配達する配達員の給料は一体どこからでているのだろう。

そこはオンラインショップを運営する企業努力で捻出しているのではないの?
そう漠然と思うだろう。

企業努力と言えば聞こえは良いが、そのしわ寄せは我々働く労働者に来ているのだ。

企業としては配達料が無料という事がサービスの売りであり、無料というサービスを提供する限り、極限までコストを抑えたいのである。

当然そのしわ寄せは配達員に来るだろう。

これが昨今の物流業界の問題なのである。

送料が有料ならば、配送コストをダイレクトに反映出来るのでそれなりの配送料でも賄えるのではないだろうか。

サービスが無料という事自体が我々労働者の負担増になっているのかもしれない。

社会に対して過度なサービスを求める事で、ブーメランのごとく自らの労働環境を悪くしている可能性はないだろうか。

今の日本はまさに負のサイクルともいうべきジレンマに陥っているような気がする。

飲食店に行くと当然、水が無料で提供される。
でもこのコストは企業が負担をしている。

配達先が不在の時の再配達も無料で提供される。
しかしこの二度手間のコストも企業が負担をしている。

企業が負担をしているという事は労働者が負担をしているという事でもある。

 

そう考えると、働き方革命の源流は消費者革命なのではないだろうかと思えてくるのである。

 

本来サービスが無料という事はあり得ない。
何かしらのコストがかかっているはずだ。

 

それを無料で提供するにはやはり無理がどこかに生じるのだと思う。

その無理が労働者の負担となっているのだとすれば、消費者意識から変えなければ本当の働き方革命は難しいのかも知れない。

そんなことを思う今日この頃。

ではでは。