暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

今の世の中、ある意味生活コストを下げる事が楽しみでもあるのだと思う。

 

平成も残り数か月で終わろうとしている。
そして、日本にとっては大きな節目となる2019年。

どのような年号に変わるのはまだ分からないが、次の時代の日本は物の豊かさよりも精神的豊かさへと本格的なパラダイムシフトが起こる時代なのだろうと思う。

生活コストを抑えて時間と精神のゆとりを求める傾向はすでに始まっているし、ミニマリストという思想も生まれた。

この心理的変動は経済に対する将来的不安や国の保証制度などの先行き不安から来るものではあるのだろうが、日頃、戯言としてうがった解釈をしてみる私。
とかく世の中のある意味成長の限界を感じる事から下記のようなマインドがあるやもしれんと想像してみた。

 

西洋の科学技術が進歩しすぎると人間の求める刺激はある一定の臨界点を超え、科学の延長線上にあるものから全く別の物を求めたがるのではないだろうか。

 

なんだかそのような考察をするに至る。
前述の物の豊かさではなく、精神の豊かさを求めるという現象はその序章なのかもしれん。

精神的豊かさと言えどもいろいろある。
時間のゆとり、自由というゆとり、何かしらから解放されるゆとり。

究極の精神的豊かさとは精神世界なのかもしれん。
いわゆる信仰心。
そういうと飛躍しすぎるのだろうけど

産業革命から約300年。
西洋的文化や思想が世界を取り巻く時代であったのが。

これからはもしかして東洋的思想が注目されていくのでは。
などと考えるようになった。

 

少し胡散臭い話になるが、昨年にとある力があるという占い師の元を訪ねた。
60歳を過ぎたであろう女性の占い師であった。

その占い師曰く、星の動きがこれまでとは大きく変わるのだという。
力の時代ではなく、愛の時代なのだとか。

何だか文字で書き記すとより一層胡散臭くなるのだが。
私は占いに対してそれほど傾倒している訳ではない。

ただ、何かしらみなそれぞれに価値観が変わる予兆を嗅ぎ取っているのではないだろうかと思った。

もっとエビデンスを提示して理論的に何故そのような考えとなるのかを説明出来ればよいのだが、何となく漠然とそのように感じるだけの戯言なのかもしれん。

ただ、豊かであることの認識は変わりつつあることは確かだと思っている。
だから生活コストを下げる事は悲観することでなく、人の営みが別の楽しみに移り替わっただけのこと。

経済成長から精神的成長という事であり、多様化する価値観が次の時代のテーマなのだと思う。

そのような意味では平成という時代は次の時代の価値観へとシフトする混沌としたカオスの状態なのであったのだと勝手に総括をしてみるのである。

 

ではでは。